↑ 1983年機体下面まで迷彩塗装となった所謂オーバーラル・マーキングのF-4G/69-7211。国籍マークも黒のステンシルに変わっている。機首下部の突き出た部分は、APR-38RHAW用のアンテナ収容部でアレーアンテナ4個が装備されている。
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3TFS / 90TFS  (F-4E/G)
フィリピンのクラーク空軍基地にF-4Gが配備されて間も無く、横田基地にも3rd TFSのF-4Eと共に90th TFS所属のF-4Gが飛来するようになった。下にUPした写真は1980年2月 シャーク・ティースを付けた3機のF-4E/Gの横田基地飛来時のものであるが、1980年から1982年にかけてクラークのF-4E/Gが多数に飛来したとされている。1983年からは急に飛来数は激減したそうであるが、クラーク空軍基地が閉鎖となる迄の間、それでも年に数回のペースで横田基地にも飛来していた。

1980年2月のF-4E/G飛来時は多くの航空ファンが横田基地東側国有地に集まり、R/W36での離陸を心待ちにしていた。しかし、3機のF-4E/Gがエンジンをスタートさせた直後ランウェイチェ~ジ!彼らは集まったギャラリーの意に反し、R/W18の風が吹く中、既に光線状態の良くない石川島播磨工場の前のTAXI-WAYを転がって行ったのであった。只、この時代90th TFSは、PACAFに配備された唯一のF-4G部隊であった為 我々にとって貴重なG型ファントムを撮影できるチャンスを与えてくれたと言える。この日は、多くのギャラリーの期待に答え(?)最後にフォーメーション離陸した2機は、離陸直後左右に大きくブレークし、見送った横田のギャラリー達を喜ばせた。
↑ 1979年10月にG型に改良されてクラークに配備されたF-4G/69-7210の配備直後のマーキングであるが、1983年にはオーバーラル・カモフラージュに変更され、機首に”MUSTANG”の文字が書き込まれた機体でもある。1986年に在西ドイツの部隊に移動。
↑ 三角形の3rd TFSのインシグニアを付けたF-4E PN-238(71-0238)、フィンチップはブルー色で塗られていた。この機体は1991年にQF-4Eに改造され、無人機として標的の役目を負った。
↑ F-4E/PN-322(68-0322)右側のインテークベーンには地図と文字が書き込まれているが、何が書かれているかは不明。この機体は、ベトナム戦時388th TFWで使われていた機体であり、クラークABからはオーサンABの51st CWに移動し1989年に韓国空軍に移管されたと記録されている。
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↑ F-4G/PN-254(69-0254)は、ジョージAFBの35th TFWにいたF-4E-42-MC 69-0254を1979年8月にG型に改造してクラークの3rd TFWに持ってきたもので、配備されて半年という機体であった。 最後はQF-4Gとしてミサイルテストに使われたとされる。
↑ 1983年には機体下面まで迷彩塗装となったオーバーラルカモウラージュ塗装の機体が多くなった。機体の注意書は、黒で統一され 省略される個所も増え テールレターは、黒で統一、但し飛行隊カラーで塗った尾翼のチップはそのままで 機首のシャークマウスとともに非常に目立つ箇所であった。F-4E/69-0290
この日午後になってR/W18に風向きが変わり 石川島工場横のタキシーウェイを滑走する3機のF-4E/G、下段の顎の長いのが当時話題の華であったF-4Gである。従来はレードームの下に20㎜バルカン砲を装備していたが、G型はそれを撤去して 対空ミサイルのレーダー波を感知するMD社が開発したレーダー”APR-38”のレシーバー(9インチのアレーアンテナが4個収納されている)が付けられ、顎が一層突き出した形となっている。また 尾翼のフィンチップにもレシーバーが付けられ、こうして並ぶとE型との違いは歴然である。
F-4Gは、アメリカ本国のジョージ空軍基地の35th TFWを皮切りに配備がスタートしたが、生産数がそう多くなかった為、当時はフィリピン・クラーク(Clark AFB)の3rd TFW/90th TFSと西ドイツのスパンクダーレムの52nd TFW/81st TFSに配備された程度であった。対SAM対策としてはF-105G-F-4Cと繋いで来た業務をF-4Gが専任で受け継ぎ、現在はF-16Cが兼任している。このG型は体に56個ほどのレシーバーを付け”空飛ぶ触覚”である。